大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和39年(わ)228号 判決

被告人 小野田光弥

昭二・一一・一五生 会社員

春日慶一

昭六・二・一九生 会社員

主文

被告人等は無罪

理由

一、公訴事実

(一)  主たる訴因

被告人小野田光弥は昭和三四年一二月頃より同三六年七月頃迄小野田ゴム工業株式会社の社長をしていたもの、被告人春日慶一は同期間中同社の専務取締役をしていたものであるが被告人両名がかねて近畿皮革工業株式会社代表取締役住山勝義、皮革工業者岡田才助の両者より金員を借用するにあたり、前記小野田ゴム工業株式会社所有の機械設備什器備品等一切を譲渡担保としてその所有権を外部的にも内部的にも移転しこれを右住山等より無償で借用し保管していたものであるところ会社の運転資金に窮したあげく両名共謀の上昭和三六年六月三〇日頃神戸市長田区神楽町二丁目二、東洋化学糊引株式会社において同社社長伊藤善吾こと徐福竜より金員を借用するに際し前記住山等より預り保管中の什器備品である裁断機一台、圧着機一台、ミシン六台その他附属品一切(時価約六〇数万円位)をほしいままに買戻し約款付で売却譲渡してこれを横領したものである。

(二)  予備的訴因

被告人小野田光弥は昭和三四年一二月頃より同三六年七月頃迄神戸市長田区神楽町二丁目所在小野田ゴム工業株式会社の社長をしていたもの、被告人春日慶一は同期間中同社の専務取締役をしていたものであるが、被告人両名がかねて右会社のため近畿皮革工業株式会社代表取締役住山勝義、皮革工業者岡田才助の両名より金員を借用するにあたり、前記小野田ゴム工業株式会社所有の機械、設備、什器、備品等一切を譲渡担保としてその所有権を外部的にも内部的にも移転し、これを右住山等より無償で借用して保管し、以て、右近畿皮革工業株式会社等のため右機械等を管理する事務に従事していたものであるところ、同年七月三日頃、東洋化学糊引株式会社社長伊藤善吾こと徐福竜が同会社の債権確保のため被告人等に無断で右機械等の大部分を搬出し、同市同区神楽町二丁目二所在の右会社に搬入して右徐の支配下においたにかかわらず、両名共謀のうえ、その任に背き被告人等および前記小野田ゴム工業株式会社の利益を図り、右近畿皮革工業株式会社等に損害を加える目的を以て同社等にその事実を秘して真実を通報せず、かつ、なんら取還の措置を講ぜず、同月五日頃右東洋化学糊引株式会社において同社社長伊藤善吾こと徐福竜に対して右機械等のうち裁断機一台、圧着機一台、ミシン六台、その他附属品一切(時価約六〇数万円位)をほしいままに売却譲渡する契約を締結し、以て前記近畿皮革工業株式会社等に対し右相当額の損害を加えたものである。

二、当裁判所の判断

(一)  公訴事実中認定できる事実

被告人小野田が小野田ゴム工業株式会社(以下小野田ゴムと略称する)の取締役社長であり、被告人春日が同社の専務取締役であつたこと、昭和三六年五月二日小野田ゴムが仕入先の皮革製造業者近畿皮革株式会社(代表者住山勝義、以下近畿皮革と略称する)及び同岡田才助に対して振出した支払手形金債務一、七五〇万余円の担保として、小野田ゴム所有の機械設備、什器備品等を右近畿皮革等に譲渡し、これを爾后無償で借受け使用し得ることにして小野田ゴムの代表者である被告人両名において右近畿皮革等のため保管するに至つたものであることは、当裁判所のなした証人朝倉栄寿、同岡田才助に対する各尋問調書公証人山崎敬義作成の公正証書正本(写)、いずれも後記措信しない部分を除く被告人小野田の七月一二日付及び被告人春日の三月七日付各検察官に対する供述調書によつて肯認できる。

(二)  主たる訴因に対する判断

ところで、前掲証拠と、当裁判所のなした証人増田昭賢に対する尋問調書及び被告人等の当公判廷における各供述を綜合すると、前認定の譲渡担保契約成立の経過のほか小野田ゴムの実態及び公訴事実記載の昭和三六年六月下旬から同年七月上旬にかけての同社の実状について、次のような事実を肯認できる。

即ち、小野田ゴムは神戸市長田区神楽町二の三、東洋化学糊引株式会社(代表者伊藤善吾こと徐福竜)社屋三階の一部を借受け、ケミカルシユーズの製造を目的とする会社であつて、対米輸出もあり好調な経営を続けて来たところ、所謂ハガチー事件以来対米輸出が困難になるなど、ようやくその経営も行き詰り、同三六年四月頃に至つて仕入先に対する支払手形の決済に事欠く事態を招き、その窮状を訴えて前記近畿皮革等の援助を仰いだ結果同社等に対する支払手形の一部につきその支払を猶予して貰うこととなり、その担保として前認定の譲渡担保契約の成立をみたのであるが、同年六月下旬に至つて更に苦況に陥入り、前記伊藤から現金五〇万円を借受けるなど資金繰りに苦慮していたところ、遂に同年七月三日不渡手形を出すに至り、ここに被告人両名は会社再建のため前記近畿皮革の営業部長岡田栄寿等と秘密裡に対策を講じたものの、即日他債権者等の感知するところとなり、その説得に奔走せざるを得なくなつたが一方小野田ゴム工場には連日他債権者等に押かけられた上、翌四日に至るや、前記譲渡担保に供した機械設備のうち、公訴事実記載の裁断機、圧着機各一台、ミシン六台その他附属品一切(以下本件物件と略称する)が前記伊藤により工場より搬出され、さらに同月七日頃に至つて同人により全く工場の門を閉されることになつた事実が明らかであつて以上認定の事実に反する証拠はない。

検察官は主たる訴因において、前認定の被告人両名が伊藤より金員を借用したのは六月三〇日頃であつて、その際本件物件を買戻し約款付で同人に売却譲渡してこれを横領したと主張し、一方被告人両名は第一回公判調書中及び当公判廷において、伊藤よりその頃金五〇万円を借用した事実はあるが、その際本件物件を買戻し特約付で売却したことはなく、本件物件は会社倒産后伊藤により無断搬出されるに至つたものである旨弁解している。

そうして右検察官主張の事実に全面的に副つた第一回公判調書中の証人伊藤善吾の証言、岡崎正幸の検察官に対する供述調書、被告人小野田の一一月三日付、一月二三日付及び被告人春日の二月一四日付各検察官に対する供述調書並に押収してある売渡証書(昭和三九年押第一〇一号)がそれぞれ存在するので、以下にその信用性について考察する。

証人伊藤は六月下旬頃、被告人両名に期限を同月末日として現金五〇万円を貸与したが、同月末日である三〇日に至つても返済を得られないので同日被告人両名との間に担保として本件物件につき七月四日を期限とする買戻し特約付売買契約を結び、その際被告人春日の自筆により前記売渡証書を作成したところ、期限を経過するも買戻しの申出がないので被告人小野田の承諾を得て搬出した旨供述しているのであるが、喜多範里作成の筆跡鑑定結果に徴すれば右売渡証書の筆跡は被告人春日の筆跡と異なることが明らかであるうえ、その際立会したと称する第二回公判調書中の証人岡崎正幸の証言によつても同人は右売渡証書の記載者及び押印日時について極めて動揺した供述をしている事実、主目的が担保権の設定であるにも拘らず買戻期限を僅か四日后にしているのが極めて不合理であること、さらには右岡崎の証言と第二回公判調書中の証人米川実美の証言、証人金田行雄の当公判廷における供述によつて認められる本件物件の搬出が夜間と早朝の二回にわたつて被告人両名に無断で搬出されたという事実より推して、右伊藤の供述は全面的に措信できず、同時に前記売渡証書自体もその作成日付となつている六月三〇日に作成されたものであるという点については疑念を抱かざるを得ない。

岡崎正幸の検察官に対する供述調書は、その内容において同人が六月三〇日に現金五〇万円を被告人両名に貸与し、その際前記売渡証書の交付を受けたと供述するのであるが、前記伊藤の供述に対すると同様の理由によりこれを容易に信用することができない。

さらに被告人両名の各供述調書中の供述は、これを仔細に検討してみると、いずれも当初は先ず被告人小野田において検察官に対し七月の会社倒産后に本件物件を伊藤に売渡した旨と供述し被告人春日は伊藤より本件物件を無断で搬出されたもので売却していない旨供述しているにも拘らず、前記売渡証書を示めされた上で供述した第二回目の調書においては両名とも右売渡証書の記載と一致した供述に変化しているのであつて、このように変化したのは当時の不明確な記憶が右売渡調書の存在によつて誤つて喚起されたものであるとする被告人両名の当公判廷における各弁解も日時の経過と混乱した当時の状況に照らし、軽々しく排斥し得ないものがあり、さらに第一回公判調書中及び当公判廷における被告人両名の各供述が終始一貫し、しかも同供述が既に認定した各事実に符合していることと、その供述態度より照らせば、前記検察官に対する供述特に第二回目の供述よりは後者の供述の方が信用できるものと判断される。

そこで右理由により信用性の高いと認められる被告人の当公判廷における各供述に前認定の当時の小野田ゴムの状況を綜合すれば、かえつて七月三日小野田ゴム倒産後、被告人両名は他債権者等と会社再建につき協議を求めんとしていたところ、翌四日頃、伊藤により本件物件を無断搬出されたのでその返還を求めたが、他債権者等より持ち去られることを防ぐため一時保管してやる旨申し向けられたので一応了承したものであること、さらに前記売渡証書の成立経過は七日頃に至つて右目的を達するためには形式上倒産前に売渡したようにしなければならないからこれに捺印せよと強要された結果、これを信じて既に文言の記載のあつた前記売渡証書に捺印せざるを得なかつたものであつて、売却の意図は全く存しなかつたものである事実を肯認できるのであつて以上の事実関係より判断すれば、七月四日頃本件物件を伊藤により無断搬出されることにより被告人両名はその頃本件物件に対する占有を失うに至つたもので、これ以前に被告人両名が本件物件につき売却その他の処分した形跡を認めることは到底困難である。

よつて本件主たる訴因についての検察官の主張は証明なきものに帰着する。

(三)  予備的訴因に対する判断

検察官は被告人両名は七月三日頃伊藤により本件物件を無断搬出されたにも拘らず、その任に背き自己及び小野田ゴムの利益を図り、近畿皮革等に損害を加える目的で同社等にその事実を秘して真実を通報せず、かつ、何等取還の措置を講ぜず同月五日伊藤との間に本件物件を売却譲渡する旨の契約を締結し、右近畿皮革等に右価格相当額の損害を加えたものとして背任罪の成立を主張しているのであるが、前掲証人増田昭賢、同朝倉栄寿の各供述と被告人両名の当公判廷における各供述によれば、七月三日小野田ゴム倒産後は近畿皮革及び岡田才助側の担当者も連日小野田ゴムに詰めていたもので、その翌日頃、本件物件が他に搬出されたことは間もなく右担当者等も承知するに至つたこと、その事情につき被告人両名は伊藤により会社再建のために保管して貰つている旨説明していたことが認められるうえ、既に(二)において認定した被告人両名の会社再建工作と伊藤との間の本件物件に関する交渉経過及び前記売渡証書成立の経過即ち当時被告人両名は伊藤の言を信じ単に同人に本件物件を一時保管せしめる意思のほかに他意はなく、また前記売渡証書の作成に応じたのも右意思を出でるものではなかつた事実関係より判断すれば、検察官が主張するように被告人両名が近畿皮革等に対し本件物件につき伊藤より無断搬出された事実をその主張のような目的の下で秘して真実を通報しないこと、或は取還の措置を講じないことの各認識があつたとは認められず、また同月五日に本件物件を売却した事実も肯認することができない。

しかして他に右検察官主張の事実を認めるに足る証拠もないので、結局予備的訴因についても犯罪の証明なきに帰する。

よつて刑事訴訟法三三六条後段に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 江上芳雄 山田敬二郎 河上元康)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例